AOYAMA GROUP

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ゲーリー・リネカー
GARY LINEKER (英国) サッカー FW

1960年11月30日、イギリスのレスター市に生まれる。
稀有のゴールゲッターとして世界にその名を知られる彼は、数多くの記録を打ち立ててきた イングランドを代表するスーパースター。

リーグ試合数とゴール数
レスターシティー 194〔ゴール数 95〕
エヴァートン 41〔ゴール数 30〕
バルセロナ 99〔ゴール数 44〕
トトナム・ホットスパー 105〔ゴール数 67〕 
イングランド代表試合数とゴール数
80(ゴール数 48)
☆上記を野球に例えると、打率5割5分に相当する。


1986年ワールド杯メキシコ大会中、マラドーナの「神の手」で話題になった試合は、リネカーが出場していた対イングランド戦だった。
イングランドは対アルゼンチン戦で敗退したが、リネカーは6ゴールで同大会の得点王となった。
イングランド主将として出場した1990年ワールド杯イタリア大会でも4ゴールをあげている。
代表出場試合数80でマークした48点は、ボビー・チャールトンの持つイングランド歴代最高得点49に次ぐ2位の記録である。

リネカーが神格化されたのはそのフェアプレイ精神による。
プロとして13年、600回にも及ぶ激しい闘いを通して、ただの一度も警告を受けていない紳士的なプレイに対し、国際サッカー連盟(FIFA)は、1991年、リネカーのためにフェアプレー賞を設けてその業績を称えた。

1993年、Jリーグの発足に先立ち、ロンドンのトットナム・ホットスパーから名古屋へリネカーの移籍が発表された時、スーパースター選手の初めての獲得に日本中のサッカーファンが興奮したが、母国英国でも、すさまじい騒ぎとなった。
名古屋グランパスの母体がトヨタだったこともあり、一部の英国のマスコミは、“ジャパンマネーは英国の宝であるリネカーまでさらっていく”と書きたてたが、最終的には、全国民が拍手で彼を日本に送り出した。リネカーの出身地レスター市は、リネカーが名古屋に出発するとき、「レスター市より名古屋市へ」と題した、リネカーのプロフィールと写真を満載した日本語のパンフレットを製作。
レスター市長からのメッセージと市長の肉筆署名入りのパンフレット500部を名古屋市に贈った。
リネカーがいかに故国で愛されているかを物語っている。名古屋時代、リネカー人気でJリーグを支えたが、怪我に悩まされ、2年目に引退を決意することになった。

リネカーと夫人のミシェールは、日本行きが決まってからすぐに夫婦で日本語の特訓を受けた。
日本に滞在中、リネカー夫妻は日本に溶け込むためにあらゆる努力を払った。会話はできる限り日本語を使い、長男のジョージを日本の幼稚園に通わせ、次男ハリーも英国に帰らず名古屋の病院で出産した。
バルセロナに移籍の時もリネカーはスペイン語を習い、今でも流暢なスペイン語を話す。

現役引退後、母国に帰ったリネカーは、持ち前のスマートなトークで、BBCのスポーツコメンテーターを務める多忙な日をおくっている。趣味は、シングルの腕前を持つゴルフ。家族は、ミシェール夫人と男の子4人。


(34才の誕生日。東京、青山グループの事務所でスタッフと)

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